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コソボ独立から10年、拙速な承認は新たな火種をもたらした | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
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コソボ独立から10年、拙速な承認は新たな火種をもたらした | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
ちょうど今月3月18日をもって日本政府がコソボ共和国の独立を承認して10年を迎える。コソボ紛争といえば... ちょうど今月3月18日をもって日本政府がコソボ共和国の独立を承認して10年を迎える。コソボ紛争といえば、「セルビア人によるアルバニア人迫害」、コソボ難民といえば「セルビア人によってコソボから追い出されたアルバニア人」というイメージが強く、実際その面があるのも事実であるが、NATO軍による軍事介入後、反転するように今度は20万人のセルビア人がコソボを追われたことはほとんどが知られていない。そのことがナショナリズムが吹き荒れる2018年の世界でどのような意味を持つか。どこに塵芥の声があるのか。 コソボ紛争を振り返る 過去の取材から検証する前に少し歴史をさらっておこう。バルカン半島のこの小国は、かつて旧ユーゴスラビア時代、自治州としてセルビア共和国に属していた。 セルビア人にとってコソボとは、中世より栄えたセルビア正教の聖地で侵すべからざる地域という位置付けがなされている一方で、人口においてはア