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吉田 克幸が語る仕事―1│仕事力│朝日新聞ひろば~朝日新聞の読み方をナビゲート
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吉田 克幸が語る仕事―1│仕事力│朝日新聞ひろば~朝日新聞の読み方をナビゲート
文化を浴びた遊学時代 学校の勉強が本当に嫌いだった 兄、姉がいる5人目、末っ子として東京の下町で生ま... 文化を浴びた遊学時代 学校の勉強が本当に嫌いだった 兄、姉がいる5人目、末っ子として東京の下町で生まれ育ちました。父の吉田吉蔵は12歳の時にカバン屋に勤め、2度の戦争や関東大震災などをくぐり抜けて29歳で独立、神田にカバンの製造所を設立しています。父が関東大震災に遭ったのは17歳の時だったそうです。その際にひもの両端に家財を結びつけ、それを肩から掛けることで多くの荷物を運び出せた経験から、「カバンとは第一に荷物を運ぶ道具でなければならない」という理念を基本にし続けていました。 カバン作りには実に厳しい姿勢で臨む父でした。自身も類いまれな職人でしたが、とにかく物を作る人を尊び、心から大切に遇していたと思います。かつてお中元の季節には米を、お歳暮の冬には炭をリヤカーに積んで、職人さんの家を一軒一軒訪れていたそうです。吉田の家には、そういう父の話が数多くあり、仕事に対する真摯(しんし)な姿勢は私