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アンナ・コムネナ - Wikipedia
アンナ・コムネナ (ギリシア語: Άννα Κομνηνή Anna Komnena, 1083年12月2日 - 1154年から1155年)は、... アンナ・コムネナ (ギリシア語: Άννα Κομνηνή Anna Komnena, 1083年12月2日 - 1154年から1155年)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)コムネノス王朝の皇族、歴史家。コムネノス王朝の初代皇帝アレクシオス1世コムネノスと、有力貴族ドゥーカス家出身の皇后エイレーネー・ドゥーカイナ(英語版)の長女。中世ギリシャ語読みでは「アンナ・コムニニ」。 アンナは1083年12月2日[注釈 1]、大宮殿にある皇后専用の「緋色の産室」[注釈 2]で生まれた[5][6]。アンナは『アレクシアス』(後述)で自らが生まれた時のことについて、 土曜日の夜明けに女の子が生まれた。その子は何から何までお父さんそっくりだと誰もが言っていた。私がその赤ちゃんである[7]。 と記している[注釈 3]。 生まれて間もなくドゥーカス王朝の皇帝ミカエル7世の息子でアレクシオスの共同皇帝とされていた