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前九年の役 - Wikipedia
『陸奥話記』によると、安倍頼良(後の頼時)が支配地の奥六郡を越えて衣川以南に進出し、受領による徴... 『陸奥話記』によると、安倍頼良(後の頼時)が支配地の奥六郡を越えて衣川以南に進出し、受領による徴税を拒否したため、永承のころ、陸奥守・藤原登任が数千の兵を率いて鬼切部(おにきりべ)で頼良の軍勢と戦闘が勃発した[6][7]。この鬼切部の戦いでは秋田城介の平重成が国司軍の先鋒を務めたが、登任は敗北を喫し、朝廷は源頼義を追討将軍・陸奥守に任じて討伐を試みたとされる[6]。 「鬼切部」の場所については、現在の宮城県大崎市、鬼首(おにこうべ)付近とする説が有力である[8]。『本朝続文粋』によれば頼義の陸奥守任官は永承6年(1051年)のことなので、鬼切部の戦いが発生したのはその直前、永承5年(1050年)ごろのことだったと考えられる[9]。他方、頼義が鎮守府将軍に任じられるのは陸奥守として赴任してから2年後の天喜元年(1053年)であり、朝廷は頼良の討伐を目的として頼義を陸奥守に任命したのではないと
2015/08/20 リンク