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大山捨松 - Wikipedia
大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本... 大山 捨松(おおやま すてまつ、安政7年2月24日(1860年3月16日)- 大正8年(1919年)2月18日)は、日本の華族、教育者。旧姓は山川(やまかわ)、幼名はさき、のち咲子(さきこ)。日本最初の女子留学生の一人。大学を卒業して学士号を得た最初の日本人女性。元老となった大山巌の妻としての立場を通じ、看護婦教育・女子教育への支援に尽力した。 官軍の砲弾を浴びて激しく損傷した会津若松城 安政7年(1860年)、会津若松の生まれ。父は会津藩の国家老・山川尚江重固(やまかわ なおえ しげかた)で、2男5女の末娘である。さきが生まれたときに父は既に亡く、幼少の頃は父方の祖父の兵衛重英(ひょうえ しげひで)が親代わりとなった[1]。重英は会津藩財政再建に貢献し、知行300石から1,000石に加増され、また種痘や新式銃にもいち早く理解を示した人物であった[1]。母・えん(父の没後に出家し勝聖院)は
2013/10/08 リンク