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大河内氏 - Wikipedia
大河内氏(おおこうちし)は、武家・華族だった日本の氏族。摂津源氏源頼政の孫顕綱の後裔と称し、正綱... 大河内氏(おおこうちし)は、武家・華族だった日本の氏族。摂津源氏源頼政の孫顕綱の後裔と称し、正綱の代に長沢松平家の養子となったことで松平姓を与えられた。大名・旗本として複数家あり、「知恵伊豆」と称された老中松平信綱が著名。明治時代に入り、大河内姓に復し、大名だった大河内家3家が華族の子爵家に列せられた[1]。 源顕綱(1179年 - 1230年)は、治承4年(1180年)の以仁王の乱で祖父頼政と父兼綱が討たれると、母と共に三河国額田郡大河内郷(愛知県岡崎市大平町(額田郡西大平村及大平村)字大河内[2]、現在の東名高速道路の岡崎インターチェンジの辺り[3])に落ち、大河内氏を称した。しかし、大河内氏の初期段階の一族の動向・家系図には不明な点が多く、顕綱も信頼性のある資料に見えていないことから仮冒であるとする説もある。 承久3年(1221年)の承久の乱の戦功により、足利義氏が守護職に補任されて
2021/04/12 リンク