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早明浦ダム - Wikipedia
補償[編集] 早明浦ダムは経済安定本部が示した当初の案では高さ72.0メートル、総貯水容量1億4,700万トン... 補償[編集] 早明浦ダムは経済安定本部が示した当初の案では高さ72.0メートル、総貯水容量1億4,700万トンと現在の規模の半分であり、下流に建設される予定であった小歩危ダムの方が大規模であった。しかし小歩危ダム計画の度重なる縮小、そして中止によって現在の規模へと拡大した。また当初一緒に建設される予定であった上流の桃ヶ谷ダムは1950年の段階で計画が中止された。ダムが建設されると奈良県の池原ダム(北山川)に次ぐ西日本最大級の人造湖が誕生することになるが、これにより本山町、土佐町及び大川村の2町1村で385戸・387世帯が水没の対象となった。この水没世帯数は当時としては大規模な部類であり、1960年(昭和35年)に建設省がダム計画の構想を発表すると同時に猛烈な建設反対運動が巻き起こった。 特に大川村の場合は村役場を始めとする村内の主要公共施設を含め、主要集落の大部分が水没する。加えてダムが完
2017/12/27 リンク