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この地の随所に日本式名称…植民地教科書が残した遺産
[パク・サンジュンの過去の窓] 文化抹殺政策に退出したハングル その場を占めた倭色用語 80年後の今も... [パク・サンジュンの過去の窓] 文化抹殺政策に退出したハングル その場を占めた倭色用語 80年後の今もあちこちに残滓残る 日帝強制占領期間(日本の植民地期)の雑誌や出版物を見れば、1930年代中後半から尋常でない情況があらわれる。韓国語の文がどんどん減っているのだ。1940年代に入ると、雑誌や単行本はほとんど日本語で埋められて、ハングル新聞はすべて廃刊される。こうした状況はもちろん日本の文化抹殺政策のためだが、その結果として青年層が幼時から日本語で教育を受け、韓国語より日本語を楽に感じるようになった理由もある。日帝強制占領期間が30年以上続き、1940年代に入ると朝鮮半島の知識人の普遍的な言語は日本語になった。 この時期、朝鮮の教科書はすべて日本語になっている。例えば昭和9年(1934年)に朝鮮総督府が作り発行した初等学校用理科教科書を調べると、最初から最後まで漢字と日本語で、ハングルはた
2018/07/03 リンク