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十五円五十銭【コラム】
「こらッ! 待て!」 関東大震災が東京を襲った翌日の1923年9月2日、早稲田大学英文科の学生だった壺井... 「こらッ! 待て!」 関東大震災が東京を襲った翌日の1923年9月2日、早稲田大学英文科の学生だった壺井繁治(1897~1975)は、友人の安否を確認するため、大学近くの下宿街、新宿の牛込弁天町にあるその友人の家を訪ねた。地震に乗じて朝鮮人たちが暴れているといううわさがその街にも広がっていた。壺井は下宿を出て、大混乱に陥っている東京の街を歩いた。地震の残酷さと、「銃剣」で武装した兵士たちが醸し出す殺気が満ちていた。橋の前に設置された戒厳屯所で、ある兵士に一行は呼び止められた。 「貴様! 鮮人だろう?」 「いいえ、日本人です、日本人です」 日本の軍警と自警団が「井戸に毒を入れる」朝鮮人と善良な内地人(日本人)を区別するために使った方法は「発音」だった。避難する壺井が乗った汽車が小さな駅に止まると、銃を持った兵士が乗り込んできて、一人の男をにらみながら言った。 「十五円五十銭いってみろ!」 こ