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横濱ジャズプロムナード
戦前のジャズの歴史はダンス・ミュージックの歴史だ。アメリカへ渡る客船バンドとして第1回目の航海演奏... 戦前のジャズの歴史はダンス・ミュージックの歴史だ。アメリカへ渡る客船バンドとして第1回目の航海演奏の船が横浜を出たのが明治45年。アメリカへ渡り、勉強にはなっただろうが大正年間はジャズとはいっても、ダンス音楽と言い切っていいだろう。日本のダンス・ホールの草分け的存在であった鶴見の花月園舞踏場は大正12年(1923)の関東大震災によって、たった3年で幕を閉じた。だが横浜にはもう一つのダンス・ホールがあった。明治の時代を経て蓄音機でダンスが踊れる“チャブ屋”だ。この語源については諸説あるがCHOP HOUSE(食堂)というのが有力だ。そしてそれは表向きでありいわゆる外国人、特に船乗り相手の私娼館だ。今の小港の山手警察署の裏あたりから本牧十二天へと続く道沿いに20を超える店舗があった。さらに石川町駅から山手に上がる大丸谷あたりにも10軒を超える店があったという。本牧の方は長谷川伸や谷崎潤一郎の本