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敗将が大出世、誰も責任を問わない旧日本軍の悪弊 知られざる日中戦争、「第二次長沙作戦」という悲惨な負け戦 | JBpress (ジェイビープレス)
真珠湾攻撃の裏で起きていた旧日本軍の悲惨な負け戦「第二次長沙(ちょうさ)作戦」を知っているだろう... 真珠湾攻撃の裏で起きていた旧日本軍の悲惨な負け戦「第二次長沙(ちょうさ)作戦」を知っているだろうか? 盧溝橋事件(1937年7月7日)をきっかけに火蓋が切られた日中戦争。果てしない泥沼と化したこの戦争の全容は、対米戦の陰に隠れてしまい、あまり知られていない。中国近現代史・日中戦争史の専門家、広中一成氏(愛知大学非常勤講師)は、著書『後期日中戦争 太平洋戦争下の中国戦線』(角川新書)の中で、「アジア太平洋戦争全般を扱ったこれまでの日本の研究所や一般書の多くが、太平洋戦争に記述の大半を割くあまり、同時期の日中戦争を、十分に論じることなく終わっている」と述べる。 日本軍は中国でどのような作戦を展開していたのか。ここでは、真珠湾攻撃の裏で手痛い敗北を喫した作戦を取り上げよう。1941年12月から翌年1月にかけて行われた「第二次長沙作戦」である。 作戦を率いたのは、第11軍司令官、阿南惟幾(あなみ・
2021/04/21 リンク