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【鹿児島市南林寺町】月照上人墓所(南洲寺):西郷隆盛菩提寺でもあり薩摩を支えた多くの名士が眠る場所
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【鹿児島市南林寺町】月照上人墓所(南洲寺):西郷隆盛菩提寺でもあり薩摩を支えた多くの名士が眠る場所
鹿児島市南林寺町。この由来はこの地にあった南林寺に由来する。現在、この地に南林寺は存在しないが安... 鹿児島市南林寺町。この由来はこの地にあった南林寺に由来する。現在、この地に南林寺は存在しないが安政の大獄から逃れた尊皇攘夷派の僧侶「月照上人」の墓、ならびに西郷隆盛の菩提寺でもある南洲寺がある。今回はその南洲寺や月照上人について現地レポートを含め触れてみたい。 南林寺とは まずは南洲寺の前に地名の由来となった「南林寺」について説明しておきたい。南林寺は、弘治3年(1557年)島津家15代当主 島津貴久公によって福昌寺末寺として建立された。その後、島津貴久公菩提寺となる。ところが、明治2年(1869年)の廃仏毀釈により廃寺となり、跡地に島津貴久公を祭神とする松原神社が建立され今に至る。 この時、墓地はそのまま市民墓地として供用されたが、大正8年に市街地拡大に伴い墓地は撤去され、ほとんどの墓石は草牟田墓地、郡元墓地などに移転されたが、無縁墳墓が3000基以上あり、そのうち名士のものだけを「南林