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「津久井やまゆり園事件」8回忌を前に 「津久井やまゆり園事件」と「障害・障害学」論 ―― 深層とその深淵から 脇田愉司
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「津久井やまゆり園事件」8回忌を前に 「津久井やまゆり園事件」と「障害・障害学」論 ―― 深層とその深淵から 脇田愉司
はじめに 元自治体職員で、障害者支援の分野に関わったことを契機に、当事者運動に引き込まれ、自分自身... はじめに 元自治体職員で、障害者支援の分野に関わったことを契機に、当事者運動に引き込まれ、自分自身の問題関心(マイノリティリサーチ)と重なって、周辺の「社会学」「倫理学」等の学際的世界の豊かさや魅力に触れてきた経緯がある。 この間、様々な文献・運動などに接し、大学・短大で講義を担当することによる私家版の「講義ノート」を作成する中で、福祉に収まらない論考・言説に多くの触発を受けてきた。そこで、今回のテーマに関連する形で、立岩真也「障害」論を振り返り、近著の『不如意の身体』の書評を試み、あわせて焦点の「津久井やまゆり園事件」との位相に絡めて、今日的課題の深層とその深淵を明らかにしたいのが、本稿の趣旨である。 1.立岩真也「障害・障害学」論の核心 (1)『私的所有論』から『不如意の身体』の延長線上で 社会学者の立岩氏は、二〇一八年に、『不如意の身体』(赤の本)と『病者障害者の戦後』(青の本)とい