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<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産⑯明石家さんまと三木のり平は優れたコメディアンである。 | メディアゴン|mediagong
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高橋秀樹[放送作家] *** (これまでのインタビューはコチラ) 大将(萩本欽一)は三木のり平さんの... 高橋秀樹[放送作家] *** (これまでのインタビューはコチラ) 大将(萩本欽一)は三木のり平さんのことを「のり平先生」と呼ぶ。師と仰いでいるのである。のり平さんと大将の最初の接点は、おそらく「日劇」であるが、正確なところは聞き漏らしている。今度確認しよう。 大衆演劇史において、のり平さんは、 「スターは三船(敏郎)、役者は(三木)のり平」 と称せられ、その演技力は抜群のものがあった。桃屋のCMだけがのり平さんではない。 森繁久彌さんと共演した「社長シリーズ」(1956〜1970の東映の喜劇シリーズ)が有名だが、何かあると「パァーっとやりましょう」という宴会好きの社員の役を代表作だと言われることを、のり平さんは嫌っていた。「あんなの余技でやっただけだから」と。 演出家としても傑出していた。1981年(昭和56年)からは、森光子さん主演の舞台『放浪記』の演出を務めた。キグレ大サーカスの演出も