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あの時代は「残酷だった」 小学生…あだ名は“女のなりかけ” カルーセル麻紀81歳、差別や偏見と“闘い”の人生|日テレNEWS NNN
性的マイノリティーという言葉が広まる前から、カルーセル麻紀さんは、そのパイオニアとして芸能界を駆... 性的マイノリティーという言葉が広まる前から、カルーセル麻紀さんは、そのパイオニアとして芸能界を駆け抜けてきました。昭和の時代から闘い続けてきた差別と偏見。ダンスとの出会いや、“周囲の男の子と違う”と感じた幼少期について、語ってくれました。 ■ダンスを教えてくれたのは漁師「あんた女の子みたいだね」──出身は北海道・釧路市だった あたしが子どもの頃、とてもにぎやかだったんですよ。遠洋漁業と炭鉱がありましたから、繁華街があって、そこにキャバレーやクラブが乱立していました。 家から歩いてすぐのところに、幣舞橋(ぬさまいばし)という橋があって、そこに着いた船によく遊びに行っていました。小学校2~3年の頃かな、ダンスを教えてもらいました。小学校の時に、マンボとかジルバを踊れたんですよ。漁師さんたちは男でしたから、“じゃあ女役やって”と言われて、「はーい!」とやっていました。「あんた女の子みたいだね」と
2024/05/26 リンク