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「わたしは死にたくない……でも、これを解き明かせるなら死んでもいい」とまで科学者が考えるものとは?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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「わたしは死にたくない……でも、これを解き明かせるなら死んでもいい」とまで科学者が考えるものとは?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
わたしは長らく神経科学に身を置き、いつの頃からか意識の不思議に取り憑かれた。これを解き明かせるな... わたしは長らく神経科学に身を置き、いつの頃からか意識の不思議に取り憑かれた。これを解き明かせるなら死んでもいいと思った。 死にたくないと言った矢先に、今度は死んでもいいと曰( のたま ) い、さぞかし、言葉が軽いように思えるだろうが、死にたくないとのわたしの思いは本物だ。 では、そんなわたしに、解明できたなら死んでもいいと言わせしめる「意識」とはいったい何か。 哲学者のトマス・ネーゲルによれば、ずばり、“What it’s like(そのものになってこそ味わえる感覚=固有の内在感覚)” である。 わたしたちの脳には、脳になってこそ味わえる感覚が数多( あまた ) 存在する。網膜からの視覚入力を受け、脳がそれを情報処理すれば、脳には「見える」との感覚が生じる。蝸牛( か ぎゅう ) からの聴覚信号を脳が処理すれば、脳には「聴こえる」との感覚が生じる。悲しい物語に触れれば「悲しい」、難しい意志