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戦時中、多くの肢体不自由児を守った決断 長野で「疎開」に感謝する記念碑(THE PAGE) - Yahoo!ニュース
太平洋戦争のさなか、疎開先探しに困った東京の養護学校を児童、職員ぐるみで受け入れたホテルが長野県... 太平洋戦争のさなか、疎開先探しに困った東京の養護学校を児童、職員ぐるみで受け入れたホテルが長野県にあります。上山田村(現千曲市)の上山田ホテルで、21日には終戦から70年余の時を超え、児童らの感謝を込めた「学童疎開記念碑」の除幕式が行われました。戦時下の学童疎開は健常児が優先され、体が不自由な子どもたちは半ば放置された状態。しかし、奔走した校長やホテル経営者の決断によって疎開が実行されました。 【写真】語られてこなかった障害者の戦争体験 日本や独ナチスでも抑圧の歴史 この日は高齢となった元疎開児童やホテル関係者らが記念碑の前に集い、「子どもたちが再びつらい思いをすることがないように」と訴えていました。 「このまま爆撃で死なせるわけにはいかない」 長野に何とか疎開を果たしたのは当時の東京市立光明(こうめい)学校。1932(昭和7)年に全国で初めて肢体不自由児のための寮舎、医療施設を設けた養護
2017/05/29 リンク