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希代の認知科学者・苫米地英人博士の天才のルーツを探る(Ⅱ)|錦光山和雄
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希代の認知科学者・苫米地英人博士の天才のルーツを探る(Ⅱ)|錦光山和雄
「お祖母さまの苫米地千代子さま編」 ©錦光山和雄 平和で差別のない世界を目指して世界で活躍されていま... 「お祖母さまの苫米地千代子さま編」 ©錦光山和雄 平和で差別のない世界を目指して世界で活躍されています希代の認知科学者・苫米地英人博士の天才はどのように生まれたのでしょうか。それを知るためには、前回の特別付録では苫米地英人博士の祖父・苫米地英俊さまからその秘密を探りましたが、今回はお祖母さまの苫米地千代子さまからその秘密を探ってみたいと思います。 苫米地千代子さまは、明治22年(1889)に京都で生まれましたが、明治30年(1897)に東京の本郷西片町10番地に転居され誠之小学校に編入されています。 その苫米地千代子さまが、当時89歳の昭和53年(1978)9月から翌年の7月にかけて、『潮音』の歌人としての短歌を織り込みつつ、明治、大正、昭和にわたる長い生涯の思い出を綴った『千代女覚え帖』という本を書かれています。この本は、当時かなり私事にわたっていたこともあり、また小泉八雲、夏目漱石、加