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21世紀の浦和にはいつも啓太がいた。退団の理由、そして残して行くもの。(轡田哲朗)
今、浦和レッズの歴史を最も知る男の決断だった。10月20日、鈴木啓太は自身のブログで、今季限りで浦和... 今、浦和レッズの歴史を最も知る男の決断だった。10月20日、鈴木啓太は自身のブログで、今季限りで浦和を離れることを決意したと発表した。2000年に入団すると、翌年から背番号を13に変更してレギュラーポジションを獲得。21世紀の浦和レッズの歴史は、そのまま“13番・鈴木啓太”の歴史とリンクすると言っても過言ではない。 彼ほど、苗字よりも名前で愛されてきたサッカー選手はなかなかいない。選手たちも、サポーターも、愛情をこめて「啓太」と呼んできた。 啓太と浦和の歴史をたどっていけば、それだけで一晩以上かかってしまうだろう。「緊張しましたよ」と語る'00年天皇杯でのデビューから、浦和の初タイトルとなった'03年のナビスコカップ。セカンドステージを制した'04年に、リーグ初優勝の'06年、アジアチャンピオンズリーグ制覇の'07年といったタイトルを、次々に獲得した輝かしい歴史がある。 一方で、シーズン中
2015/11/05 リンク