エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「山口組みたいなもん」「灘中の運動会で実弾撃ってた」日本にボクシングを広めた“大物ヤクザ”「ピス健」とは?(細田昌志)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「山口組みたいなもん」「灘中の運動会で実弾撃ってた」日本にボクシングを広めた“大物ヤクザ”「ピス健」とは?(細田昌志)
昨年秋に上梓した『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)の取材過程... 昨年秋に上梓した『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)の取材過程において、筆者は主人公野口修の口から、多くの人物の知られざる一面を聞いた。父親の野口進や“戦後最大の黒幕”児玉誉士夫。“ゴッドハンド”大山倍達。“キックの鬼”沢村忠や“国民的歌手”五木ひろしの前半生も興味深いものがあった。 その中において、責了後なおも筆者の関心を惹いて止まなかったのが、野口修が少年時代に出会った嘉納健治である。 射撃の名手「ピス健」=嘉納健治とは何者か? 大正から昭和前期にかけての神戸の大物やくざにして「ピス健」と呼ばれた射撃の名手。野口修の父・野口進も所属した大日本拳闘会の会長。前稿でも詳述したように、日本に拳闘(ボクシング)興行を根付かせた功労者の一人でもある。