エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント8件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
日本人の悩みを吹き飛ばす「美輪明宏」名言集
酸いも甘いも噛み分けるこの人の、無我夢中に生きた青年期。そこには生きるヒントが詰まっている。 「負... 酸いも甘いも噛み分けるこの人の、無我夢中に生きた青年期。そこには生きるヒントが詰まっている。 「負けるものか」が口癖になっていた 終戦の年、私は10歳の少年でした。その後、国立音楽大付属高校に入学するため郷里の長崎から上京しました。 確か15歳か、16歳の頃です。実家は比較的裕福だったので、仕送りをしてもらっていましたが、戦後のドタバタでついに親の仕事もうまくいかなくなり、破産。家は没落しました。以来、仕送りは完全に停止しました。 当時、国鉄の駅は夜になると家を焼け出された人々が寝泊まりしていました。私も一時その集団に潜り込んで雨風をしのいでいましたが、何もしなければ死んでいたでしょう。とにかく働き口を探し、食い扶持を稼がないと……。 新宿駅なんかに立っていると、手配師から声がかかりました。それで、楽器を弾ける人や歌を歌える人はトラックに乗せられて立川や座間などの米軍キャンプに連れていかれ
2015/01/11 リンク