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1942年アメリカ兵vsオーストラリア人「ブリスベンの戦い」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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1942年アメリカ兵vsオーストラリア人「ブリスベンの戦い」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
アメリカ兵とオーストラリア人が一触即発状態になった事件 ブリスベンの戦い(1942年11月26日~27日)は... アメリカ兵とオーストラリア人が一触即発状態になった事件 ブリスベンの戦い(1942年11月26日~27日)は、第二次世界大戦中にオーストラリア・クイーンズランド州ブリスベンで、オーストラリア人と駐留アメリカ軍との間で起きた騒乱です。 騒乱は2日続き、幸い本格的な戦いになることはなかったものの、もし両軍が戦闘状態になっていたら日本軍への対応で少なからず影響が出たに違いない事件でした。 なぜ同盟国同士が一触即発状態になってしまったのでしょうか。 1. オーストラリア市民に歓迎されるアメリカ将兵 急激に増えるアメリカ兵人口 日本軍による真珠湾攻撃がおきてすぐ、アメリカ軍はオーストラリアの軍事基地化を検討し始めました。 1941年12月14日、アイゼンハワー准将はオーストラリアに軍事施設を建設することを提案し、3日後にマーシャル米陸軍参謀総長がこの計画を承認。12月22日にはブリスベンに4,000