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琉球王国時代の正統家譜、戦火逃れ寄贈 志良堂家の子孫が那覇市歴史博物館に - 琉球新報デジタル
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首里王府の公印が押された「新参密姓家譜 正統」 琉球王国時代の那覇の士族(サムレー)、志良堂家の家... 首里王府の公印が押された「新参密姓家譜 正統」 琉球王国時代の那覇の士族(サムレー)、志良堂家の家系に関する記録「新参密姓家譜 正統」が6月30日、子孫から那覇市歴史博物館に寄贈された。沖縄戦で多くの琉球王国時代の史料が焼失した中、戦火をくぐり抜けて子孫が大事に保管していた。同博物館は「琉球王国時代の史料が限られる中で、家譜に書かれた内容は当時を知る上で大変貴重」としている。 志良堂家は、志良堂親雲(ぺー)上清房(ちんせいぼう)(1640年生まれ)が1世。父はトカラ列島中之島出身で薩摩藩那覇在番奉行の随行で琉球に来た日高六右衛門、母は波上宮の内侍だった真寿で、同博物館によると当時、薩摩出身者が琉球の女性と婚姻関係になるのは珍しいという。志良堂家は代々、那覇の泉崎に住んでいたが「琉球処分」を機に、今帰仁村や本部町などに移った。 正統の家譜は1世から8世まで記されている。今帰仁村の日高修さん(