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吉川『三国志』の考察 第292話「司馬仲達計らる(しばちゅうたつはからる)」
魏(ぎ)の太和(たいわ)3(229)年4月、司馬懿(しばい)ひきいる魏軍と諸葛亮(しょかつりょう)ひき... 魏(ぎ)の太和(たいわ)3(229)年4月、司馬懿(しばい)ひきいる魏軍と諸葛亮(しょかつりょう)ひきいる蜀軍(しょくぐん)が、初めて祁山(きざん)で対峙(たいじ)した。 蜀は別動部隊を用いて、武都(ぶと)と陰平(いんぺい)を攻略。諸葛亮の読みはことごとく司馬懿の先を行く。司馬懿は諸葛亮の実力を改めて思い知り、急に動きを見せなくなる。 第292話の展開とポイント (01)祁山 蜀の諸葛亮と魏の司馬懿とが、堂々と正面切って対峙するの壮観を展開したのは、実にこの(蜀の)建興(けんこう)7(229)年4月の、祁山夏の陣をもって最初とする。 それまでの戦いでは、司馬懿はもっぱら洛陽(らくよう)にあって陣頭に立たなかったと言ってよい。 序戦の街亭(がいてい)の役には自ら西城(せいじょう)まで迫ったが、諸葛亮は楼上に琴を弾じ、彼の疑い退くを見るや、風のごとく漢中(かんちゅう)へ去ってしまった。 両々相
2020/05/18 リンク