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「有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首」について - 古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)
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「有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首」について - 古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)
有間皇子ありまのみこの自傷歌として知られる挽歌は、万葉集の巻二に見られる。 有間皇子の、自ら傷みて... 有間皇子ありまのみこの自傷歌として知られる挽歌は、万葉集の巻二に見られる。 有間皇子の、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首 磐代いはしろの 浜松が枝えを 引き結ぶ ま幸さきくあらば また還り見む(万141) 家にあれば 笥けに盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(万142) 有間皇子自傷結松枝歌二首 磐白乃濱松之枝乎引結真幸有者亦還見武 家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛 万141番歌の三句目の訓みが第一の問題である。後の人が有間皇子を偲んで「自傷」と仮託したという説も唱えられている。題詞と万142番歌の歌の内容とは関わりがないのではないかとも指摘されている。小さな椎の葉にどうやってご飯を盛りつけたのかも長らく課題のままである。 有間皇子の性格について日本書紀に記述がある。 九月に、有間皇子、性ひととなり黠さとくして陽狂うほりくるひすと、云々しかしかいふ。牟婁温湯むろのゆに往ゆきて、