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記事へのコメント227件
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susahadeth52623
「白鯨」で一章丸々解説に当ててたな、と思ったら取り上げられてた。さすがに「白鯨」は今だと冗長すぎるし読みづらいけど、読者の共通理解である「脳内ライブラリ」とやらのみに頼ってたら程なく何も書けなくなる。
nekokauinu
なろう小説の作家が「実は元特殊部隊の隊員であることをエピソード交えて伝えるよりも「彼は元特殊部隊なのだ」と済ませた方が無駄がない、と語っていたのを思い出した。ジャンルによってはそれで良いのかなと思う。
kuzudokuzu
「絵に描いたような」は合気道だな。相手の力を利用する。相手に力がない場合はむしろお互い殴り合いの泥仕合。素人の文ほど相手の想像力に委ねた文章になるよ。強い作家は技も膂力も使い分ける。
deztecjp
自分は好きに飛ばし読みするので、「自由にお書きになってください」と思う。バトルシーンになったら結果まで飛んだりとか。/シドニィ・シェルダンは超訳の方がずっといいと思うので、冗長を嫌うのは正直わかる。
tanayuki00
小説は作家と読者との共同作業だから読者の脳内ライブラリーに頼るのは間違いではないが、その割合が高まるほど一部の人にしか届かなくなる。古典や翻訳が読めるのはそのあたりがしっかり描かれてるから。
minboo
橋本治「なぜ大衆小説が進化したかというと、映画の原作になったからだと思う」。原作で描写がない部分も画で表現するため映画が小説としての完成度を増し、それを踏まえて精緻な描写の必要が起こり小説も進化した。
onesplat
何を書きたいか読みたいかの違いだけ。純文はその時自分に巻き起こった固有にして唯一の感覚を仔細に書き残したいだろうし、ラノベはお約束の舞台背景とストーリーでさっさと気持ちよくなりたい。どちらも悪くない
Hagalaz
もちろん一概には言えないけど、小説で「絵に描いたような漁村」とか「繁華街」とかしか書いてないなら表現力ないってことでは 漱石の「三四郎」とか江戸名所図会や今の地図と照らし合わせながら読むのクソ楽しい
hiruhikoando
細部の描写は凄いのだが一体何が起こっているのか見当がつかない場面というのもあって、例えば高村薫の『照柿』の賭博シーンは手本引きなのか賽本引きなのか分からないままいつの間にか主人公が大負けしてた。
natu3kan
上手な作家って、読者が読みたい所と作家が見せたい所が噛みあって、魅せる所や体感時間が濃密な所は濃く、どうでもいい所はスキップで体感時間の調節は上手。ジェイムズ・ジョイスのユリシーズもダブリン分こってり
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2019/09/06 リンク