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飲酒量が多かった江戸時代、酒はいくらだったか
江戸時代の居酒屋は椅子もテーブルもなし 仕事帰りに軽く一杯引っかけるのが楽しみ、という人は多いだろ... 江戸時代の居酒屋は椅子もテーブルもなし 仕事帰りに軽く一杯引っかけるのが楽しみ、という人は多いだろう。一人暮らしならばなおさらだ。江戸では、日雇い、棒手振りなど、手に技術や経験がなくてもすぐに始められる仕事があり、貯蓄できるほどのゆとりはないものの、まじめに働いてさえいれば、男性の一人暮らしの場合、酒を飲むぐらいの金は捻出できる。仕事帰りに、ちょっと一杯という需要も多かった。 居酒屋らしいものができたのは、神田鎌倉河岸(千代田区)の豊島屋が最初といわれる。鎌倉河岸は、江戸城築城の時に鎌倉からの石を荷揚げしたところからその名がついた。江戸城築城後も、多くの物資がここから荷揚げされ、水運関係の労働者の多い場所でもあった。豊島屋ではこうした客に試飲をさせながら酒を売っていた。やがて、豊島屋では客の求めに応じて酒を量り売りし、その場で売った酒を飲ませるようになった。 そのうちに酒のつまみとして田楽
2021/10/05 リンク