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「関門トンネル」ついに80歳 “橋ではダメだ”戦時中でも建設断行の裏にあった「超壮大な計画」とは | 乗りものニュース
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「関門トンネル」ついに80歳 “橋ではダメだ”戦時中でも建設断行の裏にあった「超壮大な計画」とは | 乗りものニュース
戦時中も工事が続行され貴重なインフラに 陸軍が計画を後押ししたのは、このトンネルが開通し実績ができ... 戦時中も工事が続行され貴重なインフラに 陸軍が計画を後押ししたのは、このトンネルが開通し実績ができれば、国内の流通の安定だけではなく、当時の計画としてあった九州・壱岐・対馬・朝鮮半島を海底トンネルでつなげ、満州から九州までつながる鉄道網を構築しようという「大東亜縦貫鉄道構想」も前進するのでは、という思惑があってのものでした。 トンネルで大陸まで繋がれれば、陸軍は大陸向けの軍需品輸送の多くを鉄道で行えるということで、海上輸送よりも安定的な補給網を確保できることになります。 拡大画像 関門(鉄道)トンネル下り線トンネルの掘削現場(画像:鉄道省 土木建築工事画報1939年1月号「関門海峡連絡隧道工事図譜」/Public domain、via Wikimedia Commons)。 1936年7月には現場機関として鉄道省下関改良事務所が発足。同年9月19日に九州側の小森江で起工式が行われ、空前の大