エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
シリーズ日本共産党の党規約を深堀する ① 50年問題と日本共産党規約 - 元日本共産党草加市委員長・中嶋つかね公式ブログ
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
シリーズ日本共産党の党規約を深堀する ① 50年問題と日本共産党規約 - 元日本共産党草加市委員長・中嶋つかね公式ブログ
「分派の禁止」「党の内部問題を党外に出さない」は、なぜ、どのような経過で党規約に明記されたのか> ... 「分派の禁止」「党の内部問題を党外に出さない」は、なぜ、どのような経過で党規約に明記されたのか> 50年問題―党中央委員会が分裂、民主集中制が破壊され、「分派」活動が激化、党組織は解体状態となった。 ■1950年はどんな年だったか 1949年の中国革命の勝利(10月10日)などを契機に、アメリカが日本の占領政策を転換して、日本とアジアの侵略拠点とする為にこれに抵抗する日本共産党や民主勢力に対して米占領軍が大弾圧に乗り出した時期です。 ■どんな弾圧政策だったか ・1949年4月―団体等規制例。共産党員とその組織を登録制にする。 ・1949年8月―謀略的な松川事件が引き起こされ共産党員と労組団体役員が犯人にでっち上げられ大々的な弾圧の口実とされた。 ・1950年6月6日―党中央委員会全員が公職追放された。 ・1950年6月7日―アカハタ編集委員17人が公職追放された。 ■当時の共産党内の状況は