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ケント・ギルバート 官僚の毒に侵された日米の憂鬱Ⅰ
アメリカと同じ道を辿るな もともとアメリカでは、宗教的な戒律を重んじる生き方を「保守的(コンサー... アメリカと同じ道を辿るな もともとアメリカでは、宗教的な戒律を重んじる生き方を「保守的(コンサーバティブ)」と呼んだのに対して、「わがまま」を主張したい人たちの発言や行動が「リベラル」とされていた側面があります。しかし現在では、少数者の権利を声高に主張し、彼らへの福祉政策を重視する立場を指すことが多くなっています。 そのような人たちの活動が行きすぎて、かつては「リベラル=自由主義的」という意味合いだったのが、いまではともすれば「リベラル=全体主義的」なニュアンスを連想せざるをえない、とても息苦しい状況を招いているのです。 『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』(PHP新書)にも詳しく書きましたが、アメリカでは、「リベラル」という言葉が、本来の「自由な」「寛大な」「開放的な」「度量の大きい」「偏見のない」といった意味から大きく離れて、いまでは真逆の「社会に毒をまき散らす存在」として認識されて
2018/04/12 リンク