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もの書きを目指す人びとへ
交通手段に恵まれない辺地では、バスだけが頼り (1959年、岩手県田野畑村で) 東京から遠隔の地に... 交通手段に恵まれない辺地では、バスだけが頼り (1959年、岩手県田野畑村で) 東京から遠隔の地にあるために、朝日新聞社としては朝刊のみ、それも原稿締め切り時間の早 い「早版」を送らざるをえなかった岩手県とは、いったいどんなところであったのか。そのプロ フィルを紹介しよう。 私が盛岡支局に赴任した一九五八年には、この県は「日本のチベット」と呼ばれていた。広大 なうえ山地が多く、開発が著しく遅れた地域だったから、そう言われていたのだろうと思う。 私の目に映った岩手県もそうした見方を裏付けるものだった。とにかく、広い。面積は一五, 二七七平方キロメートル。北海道を除くと、日本一広い県だった。なにしろ、四国四県とほぼ同 じ面積である。外国と比較すると、ベルギーのざっと半分。ベルギー、フランス、ドイツに囲ま れた小さな内陸国ルクセンブルクの六倍の広さだ。 広大な県域の東部を北上山地、西方の秋田県境