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河本一郎さん 遺影登録へ 広島祈念館 原爆の子の像発案 ドーム保存貢献も
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河本一郎さん 遺影登録へ 広島祈念館 原爆の子の像発案 ドーム保存貢献も
平和記念公園(広島市中区)の原爆の子の像の建立を発案し、小中高生が活動していた「広島折鶴の会」の... 平和記念公園(広島市中区)の原爆の子の像の建立を発案し、小中高生が活動していた「広島折鶴の会」の世話人として原爆ドームの保存にも貢献した河本一郎さんの遺影が、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(同)に近く登録される。 河本さんは、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの死を悼み、級友たちに平和のシンボルとなる像の建立を呼び掛けた。募金運動を始め、1958年の完成を機に、会を結成した。 また、16歳だった楮山(かじやま)ヒロ子さんが「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドーム)だけが、いつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう」との趣旨の日記を残して白血病で亡くなった後、解体論議があったドームの保存運動に子どもたちと取り組んだ。2001年に72歳で亡くなるまで活動を続けた。 河本さんは広島県坂町の発電所で働いていた16歳の時、入市被爆した。1952年に故吉川清さんたちと初期の被爆者組織「原爆