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1948年の済州島事件とは?
〈問い〉 1948年に起きた韓国の済州島4・3事件とは?(大阪・一読者) 〈答え〉 1948年の済... 〈問い〉 1948年に起きた韓国の済州島4・3事件とは?(大阪・一読者) 〈答え〉 1948年の済州島(チェジュド)事件とは、米軍占領下の朝鮮半島南部(韓国)だけでの総選挙に反対する済州島民にたいして、軍・警察が弾圧し、3万人ともいわれる島民を虐殺した事件です。難を逃れて日本に渡った島民も数千人といわれます。 45年8月15日、日本の植民地支配から解放された朝鮮では、すぐに建国準備委員会(建準)が発足し、人民委員会が全国でつくられていきます。しかし、ソ連軍に遅れて占領統治をスタートさせた米軍は、人民委員会を左翼・共産主義者の組織と決めつけ、弾圧していきます。なかでも済州島は、人民委員会が島民の強い支持を得、47年の「3・1独立運動」記念式典に島の人口約30万人のうち3分の1が参加したほどでした。このとき、デモ参加者6人が警官の発砲で死亡、抗議のゼネストが起こり、これを契機に、右翼青年団が島