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核密約の新資料/安保絶対外交の始まり/解説
核兵器持ち込み密約に反する日本政府の発言に対し、密約の確認を求める米政府の繰り返しの干渉(1面所... 核兵器持ち込み密約に反する日本政府の発言に対し、密約の確認を求める米政府の繰り返しの干渉(1面所報)は、どのような結果を生んだのでしょうか。 米側の干渉は、1963年の際も、64年の際も、米攻撃型原子力潜水艦の日本初寄港問題をめぐって起こりました。 63年4月4日に核密約の内容を再確認した大平正芳外相とライシャワー大使との会談の場合、米側が同年1月に原潜寄港を正式に申し入れた問題に関する、日本政府の国会答弁が発端でした。 池田勇人首相は、核積載原潜の寄港を認めないと言明。志賀健次郎防衛庁長官は、米艦船・航空機による核兵器の持ち込みは事前協議の対象になると、密約に反する見解を示します。ところが、大平・ライシャワー会談後の答弁は一変。原潜寄港は「事前協議の対象にならない」との言明が繰り返されます。(表の(1)) 64年の場合も同じです。 日本政府が同年8月28日に寄港受け入れを正式決定した原潜