エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
2016 焦点・論点/明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項(下)/一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く/治安維持法を死刑法に
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
2016 焦点・論点/明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項(下)/一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く/治安維持法を死刑法に
―緊急勅令はどんなときに使われましたか。 青年将校によるクーデター事件である2・26事件(1936... ―緊急勅令はどんなときに使われましたか。 青年将校によるクーデター事件である2・26事件(1936年)は、その後の軍部独裁のてこになりましたが、この時、政府は、8条を使い戒厳令を発動して東京を軍事独裁下に置き、一切の言論、政治活動を禁圧しました。 大災害を口実にして人民への弾圧をやった例は、1923年9月1日の関東大震災です。「3・11のような大震災には緊急事態規定がないとたいへんだ」という自民党や改憲派の言い分がいかにウソであるかが経過からよくわかります。 地震の翌2日、8条により東京地域に戒厳令が発動され戒厳司令官のもとで軍事独裁が敷かれました。戒厳令の下、命令で治安維持令が出され、「暴動」が起きるかもしれないという口実で大勢の朝鮮人が虐殺されました。4日には南葛労働会の川合義虎ら青年労働者が虐殺され、16日には大杉栄と伊藤野枝も虐殺されました。軍事独裁下だからこそできた虐殺でした。