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宇佐山城~信長の危機を支えた城~:時事ドットコム
最後の拠点・宇佐山城 宇佐山城周辺の拡大図。織田方は宇佐山城北側の山中越を封鎖し、南側に新道を築い... 最後の拠点・宇佐山城 宇佐山城周辺の拡大図。織田方は宇佐山城北側の山中越を封鎖し、南側に新道を築いて守りを固めていた【時事通信社】 周囲を敵に囲まれながら、織田方が京都への交通路を確保できたのは、近江と京都の境目に位置する宇佐山城を抑えていたからだった。 先に紹介した多聞院英俊の日記の記述などから当時の状況を推定すると、姉川の戦いのころ、織田方は京都に通じる琵琶湖西岸域のうち、南端部分しか制圧できていなかったようだ。宇佐山城は浅井・朝倉方との最前線にあったわけだが、その南に織田方の城はなかったので、宇佐山城が落ちれば畿内と美濃・尾張は完全に分断されてしまう。 要するに、織田信長にとって宇佐山城は畿内への影響力を維持するための最後のよりどころで、絶対に奪われてはならない最重要ポイントだった。宇佐山城の守将に、老練の武将である森可成を充てたことも、ここを何としても守ろうとした信長の危機感を示し