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慶應義塾大学出版会|立ち読み『フーコーの後で―統治性・セキュリティ・闘争』の「序」
この論集『フーコーの後で』のタイトルは何を意味しているのか? ここでは三つの意味を想定しよう。 ま... この論集『フーコーの後で』のタイトルは何を意味しているのか? ここでは三つの意味を想定しよう。 まずは文字どおりの意味である。 フランスの思想家ミシェル・フーコー(一九二六―八四年)が大活躍した一九六〇―七〇年代から数えても、また彼の没年から数えても、すでにかなりの年月が経過した。では、フーコーはすでに過去の人なのか? いや、彼の仕事の含蓄がすでに汲み尽くされたとはとても言えない。その仕事は今日性を失っていない。そればかりか、私たちの生きているこの現在に対して、彼の思考が投げかける光はますます強くなってきている。これが私たちの実感である。 私たちは依然として、つねに「フーコーの後[アフター・フーコー]」に身を置いている。フーコーの没後、この思想家の仕事を出発点とし、必要な批判を加えつつも彼の切り開いた道を頼りに研究を試みる――これが、実質本位の「フーコー・チルドレン」である私たちの目指すと
2009/05/26 リンク