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認識的不正義 ミランダ・フリッカー著 佐藤 邦政監訳 飯塚 理恵訳
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認識的不正義 ミランダ・フリッカー著 佐藤 邦政監訳 飯塚 理恵訳
黒人であることで警官から疑われる場合のように、聞き手の偏見のせいで話し手が過度に低い信用性しか受... 黒人であることで警官から疑われる場合のように、聞き手の偏見のせいで話し手が過度に低い信用性しか受け取れない「証言的不正義」。セクハラの概念が存在しない時代にそれに苦しんだ人のように、集団的な解釈資源のせいで経験の理解を妨げられ不利な立場とされる「解釈的不正義」。認識論・倫理学・フェミニズム哲学を横断する思索。 【原著】Miranda Fricker, Epistemic Injustice: Power and the Ethics of Knowing (Oxford University Press, 2007) ◎けいそうビブリオフィルで一部内容を公開中です 「序文」「序章」冒頭 日本語版への序文 序 文 序 章 第1章 証言的不正義 1・1 権力 1・2 アイデンティティの力 1・3 証言的不正義の中心事例 第2章 信用性の調整における偏見 2・1 ステレオタイプと偏見的ステレオタ