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<ぶらり旅> 生麦事件碑(横浜市鶴見区) ~ 日本近代化の幕明けへ - 60歳からの節約ライフ(プチ贅沢)
時は幕末、文久2年8月21日(1862年9月14日)。 幕政改革の勅命を幕府に伝える勅使・大原重徳の護衛の任... 時は幕末、文久2年8月21日(1862年9月14日)。 幕政改革の勅命を幕府に伝える勅使・大原重徳の護衛の任を終え、 江戸を立ち京都へ向かう薩摩藩主の父・島津久光の行列が、 武蔵国生麦村(現横浜市鶴見区生麦)に差し掛かったとき、 騎乗のイギリス人4名が遭遇しました。 行列を妨害したとして、薩摩藩士がイギリス人商人リチャードソンを殺害、2名に深手を負わせました。 日本の近代史の中では、忘れてはならない「生麦事件」です。 NHK大河ドラマ「青天を衝け」の2月14日の第一回放送のオープニングで、 渋沢栄一が、徳川慶喜の馬前に立ち塞がるシーンがありました。 それが文久4年(1864年)とのことです。 時代的には、その頃のイメージです。 県内での出来事ですが、現場には行ったことがありませんでした。 約160年前の出来事ですが、その歴史の一端を手繰ってみました。 (※史実・解釈の違いなどがありましたら
2021/03/23 リンク