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命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【2】事故後、最初の運転で手が震えた
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命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【2】事故後、最初の運転で手が震えた
神戸駅係長の森敬一朗(40)。JR史上最悪の事故を起こしたのは、同期入社の運転士だった。 2005... 神戸駅係長の森敬一朗(40)。JR史上最悪の事故を起こしたのは、同期入社の運転士だった。 2005年4月25日午前。実家のテレビで脱線事故の発生を知った。入社以来憧れた運転士になって9カ月目。大破している車両は、いつも運転する207系だった。「いったい何が…」。当日も翌日も、テレビにくぎ付けになった。 「会社、つぶれるかもね」 母から食事中に言われ、箸を持つ手が止まった。とりたてて鉄道に興味があったわけではなく、安定した就職先として選んだJR西日本。つぶれるなんて想像したこともなかった。 電車を動かす運転士は言うまでもなく、鉄道会社の花形だ。最初は改札係、車掌として勤務しながら社内の試験に合格し、同じように目指した同期たちに1年遅れて、ようやくなれた。 事故の2日後、勤務先の明石電車区へ出社した。若手の運転士が多く、和やかで活気のあった職場は、一変して重苦しい雰囲気になっていた。「運転士の