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垂水には砂浜、舞子は松が少しだけあった 昔と今、なぜ変わったの?
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「高度成長期、舞子は松が少しだけあって砂浜がなく、垂水には松がなかったけど砂浜があった」。取材で... 「高度成長期、舞子は松が少しだけあって砂浜がなく、垂水には松がなかったけど砂浜があった」。取材で出会った神戸市垂水区在住約60年という男性の言葉に「あれ?」と思った。現在の舞子地区といえば、舞子公園の松林と、海水浴客でにぎわう「アジュール舞子」の砂浜のイメージが強い。反対に、舞子の東側の垂水地区は大型商業施設があり、砂浜は影も形もない。この半世紀ほどで、隣接する浜辺の様相が激変したのだろうか。住民の証言や資料を基に、名所の今昔をたどった。(丸山桃奈) 男性は、野口周志(ちかし)さん(72)。昨年4月、垂水の海を望む前方後円墳「五色塚古墳」の歴史を振り返る企画展で出会った。 「垂水の砂浜を、みんな『垂水の浜』と呼んでいたかな。小学校の水泳教室があって、10メートルを泳いだ証明書をもらってうれしかった記憶がある」。野口さんの思い出話を聞いているうちに、舞子と垂水の「砂浜と松」への関心が高まった