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わたしは「変わる」ことができるのか。(2) | みんなのミシマガジン
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わたしは「変わる」ことができるのか。(2) | みんなのミシマガジン
前回連載分、わたしは「変わる」ことができるのか。(1)は、こちら。 ここ数年、いろんな「困りごと」... 前回連載分、わたしは「変わる」ことができるのか。(1)は、こちら。 ここ数年、いろんな「困りごと」を抱えている人に話を聞いたり、ボランティアというには大層だが、何かしらの問題により一人では生活ができない人が集って暮らす場所に足を運んだりする機会が増えた。 お会いする人のなかには、身体的に、あるいはメンタルの面で障害のある人も少なくない。 35年前、困りごとを抱える人を意図して遠ざけようとしたわたしが、今なぜ彼らと一緒の時間を過ごしたり話したりしたいと思うのか、自分でもよくわからない。 わたしという人間が大きく変わったという自覚はない。 生きるということは、自分ではない誰かと関係を持つことだ。人はひとりでは生きられないから。毎日口にするお米だって野菜だって、会ったことはないけれど、誰かが作ったものを食べてわたしは生きている。 それと同じく当たり前のように、学校で、職場で、ご近所さんと、行きつ