エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「こうのとり」座談会 —JAXA×三菱重工×三菱電機 ~ 初号機打ち上げへの厳しい道のり|三菱電機 DSPACE
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「こうのとり」座談会 —JAXA×三菱重工×三菱電機 ~ 初号機打ち上げへの厳しい道のり|三菱電機 DSPACE
「こうのとり」プロジェクトが立ち上がったのは1994年。当時の日本は純国産液体燃料ロケットH-IIの打ち... 「こうのとり」プロジェクトが立ち上がったのは1994年。当時の日本は純国産液体燃料ロケットH-IIの打ち上げに成功したものの、有人宇宙開発では1992年に毛利衛宇宙飛行士が日本人で初めてスペースシャトルで打ち上げられたばかり。月面に人類を送り込んだNASAとは、大きな経験の差があった。そんな日本が提案した「こうのとり」初号機実現までは、苦難の道のりだった。 前代未聞の「こうのとり」方式はどうやって生まれた? —「こうのとり」は1994年から検討が始まり、1998年から開発に着手したと聞いています。今回は初期のNASAとの交渉から初号機までをふり返りたいと思います。「こうのとり」は従来のドッキング方式でなく、ISS下方10mまで接近後、速度を合わせて並走(ランデブ)することでISSから見て静止しているような状態にし、宇宙飛行士がロボットアームでキャプチャ、その後ロボットアームでISSに接合(