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揺らぐニッポン「原子力立国」の夢
日本の歴史で2011年3月は、1945年8月と同じくらい大きな転機をもたらした時として記憶される... 日本の歴史で2011年3月は、1945年8月と同じくらい大きな転機をもたらした時として記憶されるだろう。どちらの場合も、それまでの国家、経済、そして社会のモデルが打ち砕かれた。そしてどちらの場合も、その大きな要因の1つが原子力だ。 広島と長崎を覆ったキノコ雲が、1930年代に関東軍の若い将校たちが選んだ道の終着地だったとすれば、東日本大震災と福島第一原発の暴走と終末論的な不安は、1950年代にエリート官僚と政財界が選んだ道の終着地だ。その遺産が原子力大国・日本だ。 1945年は純粋な人災だった。2011年は天災によって引き起こされたが、人的要因がそれを大幅に悪化させた。 広島と長崎に原子爆弾が投下されて以来、日本には原子力が絡むものは何であれ激しい拒否反応を示す「ヒロシマ症候群」ともいうべき風潮が広がった。このため日本政府がアメリカの核戦略に協力するときは、密約という形を取らねばならなかっ