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オーストラリアは忘れまい、しかし許そう
平均的なオーストラリア人は今の日本にそれほど恨みを抱いていない(写真は17年4月、シドニーの記念パレ... 平均的なオーストラリア人は今の日本にそれほど恨みを抱いていない(写真は17年4月、シドニーの記念パレードに参加した元兵士) David Gray-REUTERS <大戦中に捕虜が受けた虐待の記憶は消えない それでも今の世代が新たな日豪関係の構築に進む理由> <本誌2015年8月11&18日号「特集:『戦後』の克服」より転載> ジャック・ハープリーは25歳で無惨な死を遂げた。悲劇だが、あの時代には決して珍しいことではなかった。 オーストラリアの牧羊地帯で育った快活な青年ジャックは第二次大戦中、日本軍がボルネオ島に設置した悪名高いサンダカン捕虜収容所に送られた。肉体的・精神的な虐待が繰り返された後、捕虜たちは数回に分けて約260キロ離れたラナウまでジャングルの中を歩かされた。1945年1〜6月のことだ。 捕虜たちは栄養不良や病気で弱っていた。しかも26日間の移動中に与えられた食料はわずか数日分
2018/08/17 リンク