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なぜ台湾・金門島周辺で中国「漁民」の転覆事故が続くのか? 歴史で読み解く「金門・日本有事」
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なぜ台湾・金門島周辺で中国「漁民」の転覆事故が続くのか? 歴史で読み解く「金門・日本有事」
3月14日の中国漁船転覆事故で救助にあたる台湾海巡署のボート Taiwan Coast Guard/Handout via REUTER... 3月14日の中国漁船転覆事故で救助にあたる台湾海巡署のボート Taiwan Coast Guard/Handout via REUTERS <中台が対峙する最前線の島・金門島周辺の海域で、中国漁船の転覆事故が立て続けに起き、緊張が高まっている。歴史から読み解く「金門有事」と「日本有事」> 台湾と中国が対峙し合う最前線の金門は今、「本日天気晴天なれども、波高し」のごとき緊張感に包まれている。両者の対立の歴史的背景について、述べてみたい。 盧溝橋と金門の猛将 およそ戦争は、その前夜段階では双方が挑発し合い、相手が先に矢を引くよう仕掛ける。金門島をめぐる対戦にもこのような因縁の一面があり、日本とも無関係ではない。1937年7月7日夜11時。北平(北京)郊外の盧溝橋近くで演習中の日本軍の兵士1人が行方不明になった、と日本側は主張した。かのマルコポーロも通過した橋には無数の獅子の彫刻があり、日中双