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大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』を読む(その4)/私の現在の事情(続X108) – 防衛省OB太田述正ブログ
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大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』を読む(その4)/私の現在の事情(続X108) – 防衛省OB太田述正ブログ
太田述正コラム#9603(2018.1.24) <大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』を読む(その4)/私の現在の事... 太田述正コラム#9603(2018.1.24) <大澤武司『毛沢東の対日戦犯裁判』を読む(その4)/私の現在の事情(続X108)>(2018.5.10公開) 「1949年6月30日、中華人民共和国の成立に先立ち、毛沢東は「向ソ一辺倒」を新たな国家の外交方針とすることを宣言した。 海外に滞在した経験を持たない毛沢東が10月の建国直後、3か月近く北京を離れ、モスクワで中ソ友好同盟相互援助条約の締結交渉に臨んだことは、社会主義陣営の結束の強さをあらためて世界に印象づけた。」(87) ⇒前段についてですが、中国国民党の方が中国共産党よりもスターリンのお気に入りだった(コラム#省略)だけに、その国民党政権に共産党政権が取って代わる寸前において、毛沢東がスターリンに忠誠を誓う必要性を感じたのは当然のことでしょう。 また、後段についてですが、ソ連は、1949年8月29日に初めての核実験に成功しており、