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1870年代の長崎 • 阿弥陀橋
長崎の銭屋川(現在の中島川)から見た美しくロマンチックな阿弥陀橋。 明治5年(1872年)に撮影された... 長崎の銭屋川(現在の中島川)から見た美しくロマンチックな阿弥陀橋。 明治5年(1872年)に撮影されたもので、橋の手前には井戸がある。水桶も見えるが人の姿はない。これは恐らくこの写真家の露出時間が長かったためと思われる。奥に見えるのは高麗橋で、川床全体に散らばっている石や堤防が、長崎の市街地の中に荒々しい川があるとのイメージを与えている。 この優美な石橋は、長崎の伊勢町と八幡町をつなぐために長崎の貿易商人園山善爾が私財を投じて1690年(元禄3年)に架けたもので、長さは13.4メートル、幅は4.5メートル。 面白いことに、長崎にある橋には名前がなく、上流にある阿弥陀橋を第一橋として順に番号が付けられていた。日常的には、住民が橋のある近辺の名前で呼んでいたので、当然のことながら混乱が生じ、医師で間学者の西道仙が橋毎に名前を付けた。 その時阿弥陀橋は、橋の右側に阿弥陀堂があったことから名付けら
2022/08/09 リンク