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終戦直前の長野・海軍壕 「相当重要な通信部隊だった」山田朗・明大教授
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海軍の行動が記録された旧安茂里村の村長日記(左)などの史料=長野市(原田成樹撮影)終戦直前に長野... 海軍の行動が記録された旧安茂里村の村長日記(左)などの史料=長野市(原田成樹撮影)終戦直前に長野市安茂里で海軍が掘った地下壕について、明治大の山田朗教授(平和教育登戸研究所資料館長)は現地調査を行い、本土決戦をにらみ「相当重要な通信部隊だった」との認識を示した。自身の調査と地元にある史料を照合し、工事を担う隊長自身が先遣隊として急行し、海軍から「分遣隊施設新設」という命令が出ていたことがその根拠。海軍の中枢機能を担う予定だったとみて、今後、隊長の戦後証言の発掘などで史実の解明を進める考え。 隊長自ら先遣長野市の市民団体「昭和の安茂里を語り継ぐ会」が保管する旧安茂里村の塚田伍八郎村長の日記には、昭和20年6月27日「午前8時役場出席の前 昨夜来宅の横須賀海軍施設部山本部隊長に面談」とある。