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【中江有里の直球&曲球】漱石が「森の都」とたたえた熊本と被災者の皆さんの無事を祈っています(1/3ページ)
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【中江有里の直球&曲球】漱石が「森の都」とたたえた熊本と被災者の皆さんの無事を祈っています(1/3ページ)
作家は亡くなってからも度々ブームが訪れる。今年は夏目漱石がその筆頭だろう。作品だけでなく、その人... 作家は亡くなってからも度々ブームが訪れる。今年は夏目漱石がその筆頭だろう。作品だけでなく、その人生がドラマ化されるなど人々の興味は尽きない。漱石は今年、没後100年、来年は生誕150年を迎える。 『こころ』『坊っちゃん』など広く知られるが『三四郎』『草枕』などでは共通の舞台が登場する。前者は主人公、三四郎の故郷として、後者は旅行先として熊本が描かれる。今年は漱石来熊120年の記念年でもある。 漱石が熊本の旧制第五高等学校に赴任したのは、明治29(1896)年、29歳の時だった。それ以前、友人である正岡子規の故郷、愛媛・松山にいたことはよく知られているが、熊本では4年3カ月を過ごし、その間に鏡子夫人と結婚した。熊本時代の漱石は英語教師の傍ら、多くの俳句を詠んでいる。まだ小説を書き始める前だが、文学への意欲に燃えていたようだ。